俳句とはどんな詩か?

俳諧詩学川本晧嗣岩波書店)より

 

・詩の特徴は表現の意外性意味の不確定性である。

  田一枚植ゑて立ち去る柳かな

・俳句の妙味は表現と解釈のあいだを行ったり来たりする往復運動にある。

  私の耳は貝の殻 海の響きをなつかしむ

・何通りもの解釈が生まれるのが短詩である。短詩なかでも俳句は、テクスト(もともとの俳句)とそれを読み取る読者との共同作業で生み出される。俳句作者の仕事は、17音のなかに何かを「述べる」あるいは「語りつくす」ことではなく、読み手に「夢見させる」ための言葉の装置を組み上げることにある。

・俳句は読み手にさまざまな解釈を許すものの、読み手に道しるべ(一定の意味の方向づけ)を用意している。

  やまざとはまんざい遅し梅の花

・「やまざとはまんざい(万歳)遅し」を「基底部(読み手を引きつけながら、それだけでは全体の意義の方向づけを持たない、行きっぱなしの句)」と呼ぶ。そして「梅の花」を「干渉部(その基底部に働きかけて、一句の意義を方向づけ示唆する部分)」と呼ぶ。

俳句の核心は「基底部」にある。読み手は一句全体の意義をどうこう言う前に、まずことば続きの意外さ、面白さによって、無条件にその句の世界に引き込まれる。一句のたねは基底部にあり、句の出来は何よりもまず、基底部の切れ味いかんにかかっている。そして意義は後からついてくる。その意義を生み出すのが「干渉部」である。基底部のはらみ得るさまざまな意義のうち、ある種のものに読み手の注意を引いて、そちらへ最終的な方向づけを果たすのが、干渉部の役割である。

・干渉部には季語または名所が充てられることが多い。歴史のなかで培われてきた季語や名所などの「詩語(歌語)」があるからこそ、俳句は詩の形式として独立できた。

・俳句実作の現場は、文学というよりも習い事、たしなみというか広い意味での遊びの側面が強いようである。しかし俳句は、ことばが本来持っている意味の不確定性そのものを表面化し、協調し、読み手に痛感させることを、一番の付け目とする遊びと理解すべきなのかもしれない。